シルクロード、西域南道は崑崙山脈の麓を通ってホータンからカシュガルに至る道である。四本あるシルクロードの道の中で、一番の田舎道である。しかし、近年タクラマカン砂漠から石油が出てから急速な中国化の波がここにも押し寄せている。そのなかでウイグル族をはじめとする先住民族の生活は大きく脅かされている。人々の生活は一見、平和そうに見えるが、チベット同様、漢族に依る同化という名の民族浄化が進み、2007年のウルムチの事件のように、潜在的な不満は鬱積しているのかもしれない。それを裏付けるように、この地域の空港の警備は北京空港より厳重だ。町はもちろん、砂漠の一本道にも監視カメラはいたるところに設置され、交通警察の検問所の後ろには軍が控えている。ウイグルの民族問題の原因に、西部大開発に伴う、分配の不平等や経済格差があげられているが、それがすべてではないだろう。再開発中の町では、遊牧や農業を営む住民の生活様式とはお構いなしに、モダンなアパートが建てられ、住民は強制的に移住させられていく、取り壊された住居の跡をまっすぐな幅の広い道路が作られる。あるいは、トルファンという町では、町から遠く離れた荒野に、新しい新幹線の駅が計画され、周りに漢人が新しい町を作って住み着いていく。 その国造りから彼らが疎外されているの明らかだ。この問題の根底には、中国政府の先住民族に対する優越意識や、民族や宗教に対する決定的な無理解があると思う。
シルクロードは砂の道である。見渡す限りの砂また砂。しかし、崑崙山脈の氷河から、水は供給され、地下の水位は意外と高い。数メートル掘ると、塩分混じりの水が出てくる。道路脇の砂漠には濁流が流れた跡が残る。そしてところどころで、水は大河となって姿を現し、また砂の中に忽然と消えている。そんななか、仏教遺跡は砂に埋もれ、僅かにその土台部分が 露出していた。それは、藁で補強された泥の塊であった。足元の砂には骨が露出し、上顎らしき骨には人間の歯形に似た歯が付いていた。あるいは本当に人骨だったかもしれない。それが出ても不思議ではない荒涼とした雰囲気が漂っている。
旅の後半、砂漠公路を通って、天山南路の町、クチャに出た。そこはキジル千仏洞はじめ、比較的かたちある遺跡が残っている。しかしその内部は、イスラム教徒に傷つけられ、さらに、ヘディンや日本の大谷探検隊に依って、壁画は持ち去られてしまって、今はドイツや上野の美術館にあるそうである。ここには見るべき遺跡は残っていない。しかし、ガイドについてくれた現地の学生は、意外と仏教に対する知識も高く、少しほっとさせられた。
インドやカンボジア、ギリシャの遺跡を回ったことがあるが、やはり、私は遺跡より生きている人間が好きだ。バザールに集う人々の活気にほっとさせられる。ウイグル人は誇り高い民族である。この「国」では、物乞いの姿は見当たらなかった。それは彼らが豊かであるからではなく、イスラム特有の互助意識からくるものだろう。日本人が珍しいようで逆にこちらが観察されている。日本人と漢人の区別なんて、どこで見分けるのだろう?と思っていたが、幸い彼らには区別が付くようである。好奇心に満ちた彼らの眼は温かかった。押し寄せる中国化の荒波に彼らの健闘を祈るしかない。
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文 鎌田
ウルムチ・ウイグル博物館
南疆鉄道の夕日
子供のミイラ
楼蘭の美女
別のミイラ
各種の鞭
シルクロード・西域南道
チャルクリク・米蘭遺跡
バザールの主役はここでも女性
キジル千仏洞
鳩摩羅什像
ウイグル料理・ラグ麺
ホータン近郊のバザール
イスラム寺院・ドーム内部
各種の香辛料